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ヤナクの生い立ち【私が占い師になったワケ】②

 

 

原宿ほしよみ堂の

椰奈空〈ヤナク〉です。


 

 

私自身の生い立ちと、

なぜ私が占い師になったのか、そのワケをお話ししていきます。


 

私と同じような体験をした方や、

これから占い師になろうと思っている方の

参考になれば幸いです。

 

 

 

今回は、前回の続き。


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ちなみに前回はこちら↓ 【私が占い師になったワケ】①

 

https://www.hoshiyomishi.com/blog/2021/08/post-5635.php

 

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ヤナクの生い立ち【私が占い師になったワケ】②

 

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末っ子状態を堪能しながら4年が経った頃、


妹が産まれ、その翌年には弟が産まれ、

我が家は6人家族に。



祖父が、私たちが生まれた記念にと、

別荘の庭に桜の木を植えてくれました。





この頃の私は、

すっかり積極的になっていて、


妹たちを世話することで

両親の撮るビデオカメラに写ろうと、

懸命になっていたようです。





姉弟が4人いて良かったことは、

テレビゲームを4人でプレイできたことでしょうか。


何があっても怖くないような、

4人でいるときの安心感。




毎年の楽しみといったら、


桜の木が成長するのを見ながら

正月をみんなで過ごすこと。



しばらくは平和そのものが

私たちを包んでいました。




が、

子どもの知らないところで色々あったんでしょう。




私が中学生の頃、


会計のミスで取り返しのつかないことになり、

祖父の会社が倒産しました。



詳細はあまり聞いていませんが

一家で夜逃げする話もあったそうです。





父の采配で夜逃げはしないで済みましたが、

それからの生活は一変しました。




子どもながらに思い出のつまった

祖父母の家や土地、別荘も売り払い、


私たちは家族6人でのアパート暮らし。



祖父母は自己破産して、

東京を離れ、父の妹のいる四国へ。




祖父が植えてくれた桜が咲くのを

みんなで一緒に見る夢は、叶わなくなりました。





それでも家族6人明るく過ごしていましたが、



程なくして、育児をしながら

父を支えるためにと資格勉強に励んでいた母が、


鬱とパニック障害を併発し、

子どもがえりをしてしまいました。





あんなに教育熱心でテキパキしていた母が、


突然、しゃべり方も動き方も

たどたどしくなってしまって、



さらに病気の影響なのか、

視界が極端に狭くなって、

目もほとんど見えなくなってしまいました。




母は、

自分が子どものようになりながらも、


私たちが自分の子どもだと

いうことは自覚していて、


『こんな姿は見せられない』と、

部屋の扉を閉ざして引きこもるようになりました。




幸い、母方の祖母が来て

母をみてくれていましたが、


あまりにも変わってしまった母の姿に、

やはり強い衝撃を覚えました。





私たちに直接会うことは恐れていた母でしたが、

それでも子ども達にごはんをと、


テーブルに並べてくれたお皿の中が全て

炭のように真っ黒だったあの光景は、

今でも目に焼き付いています。



私にとって母の病気を象徴するものは、

あの真っ黒になった、母のケチャップウインナーです。


母がよく作ってくれた、私の大好物でした。




私と姉は大きかったので

まだ『大人にならなければ』と思えましたが、


小学生だった妹や弟にとっては

本当に大きな出来事だったと思います。





それから年月はかかりましたが、

幸い、母は少しずつ快方へ向かっていきました。




ただ、目に見えない病気は複雑なため、

家族でさえ理解するのが難しいところがあります。



みんな母を支えなければとわかっていても、

どこか甘えたいところがあったのかもしれません。


家族でぶつかることが多くなりました。




私自身、

現実逃避したい願望があった気がします。



正直、学校に行くことを理由に、


家にいなくて良いことに

ホッとしている自分がいました。





この頃は、

自分の中にズルい気持ちがあるのを感じながら、


せめて高校受験だけは

ちゃんと自分一人でやりきろうと、


とにかく、前に進んでいました。









(つづく)










椰奈空〈ヤナク〉


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