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占い師になった訳

 結婚するときに、

 
縁があって占ってもらったのが
 
『四柱推命』でした。
 
 
 
実家の取引銀行の方の紹介で紹介でなければ見てもらえないというおじ様の占い師さんでした。
でも、その時「この結婚は大丈夫」と言われたのに、
 
相手はDVが酷く、8年間の結婚を経て、やっとの思いで離婚しました。
 
 
 
それ以来、
 
四柱推命に対するイメージが悪くなったので、
 
紫微斗数の鑑定が、すごくハマったのです。
 
 
 
離婚して、自分自身の人生が大きく狂ったように感じた私は、職場の友人とショッピングモールの中の占い師さんに見てもらいました。
 
その先生は、見たことの無い占いで、私の命盤をつくり鑑定してくれました。
 
実に面白くてなんだか判らないけど直感が働き、
その占い師の先生に、
 
紫微斗数を教えてもらいました。
 
 
一通り教授してもらうもまだまだ知りたい!!
 
 
しかし当時は、まだ専門的な本がない時代で、
 
教えている人も少数。
いろいろなところで先生を探し、
 
 
 
 
ある縁で台湾人の先生を紹介していただき、
 
1年に数回、台湾まで赴いて習いました。
 
 
 
それから数年後に、
 
原宿で中島先生に鑑定していただき、
今までの先生には教えて貰えなかった鑑法に触れ
 
 
『飛星』を習うために師事いたしました。
 
 
 
離婚を機に『紫微斗数』を習い始めましたが、
 
当時は子供を2人抱えて必死に働いていました。
 
 
 
ですから生活に余裕もなく、
 
また夜の仕事は無理だと思っていましたので、
 
とにかく私は
 
 
 
「自分の背中を見て子供は育つのだから、
 
 恥ずかしくないように生きる」
 
 
 
という基本だけを守って生活していました。
 
 
 
幸い生保の仕事は、
 
子供を連れていてもできる仕事だったので、
 
家に留守番させることもなく
 
どこでも子供といきました。
 
 
 
そんな時に、当時習っていた先生から
 
「岡崎のイオンで占いを手伝ってよ」
 
と言われ、半ば無理やり
 
週末の夜6時から22時まで、
 
母に子供をお願いしてデビューしたのです。
 
 
 
その時は、まだ自信がなくて、ひたすら
 
「お客さんが来ませんように…」
 
と願うような情けない状態。
 
 
 
2人で占っていたのですが、
 
私にお客様が来ようとすると、
 
すかさず、
 
「隣の先生は良く当たりますよ」
 
と回してしまうような有様でした。
 
 
 
紫微斗数もまったく自信がないので、
 
 
 
「タロットでやらせてください。
 
 そのほうがキャリアが長いです」
 
 
 
とタロットに絞り、
 
徐々にお客様が付くようになって、
 
占い師として成長することができました。
 
 
 
当時は日曜の昼間で、
 
多い時は10時から18時の間に
 
最高16人もの鑑定をこなしました。
 
1人20分の鑑定です。
 
 
 
昼も食べられないほどの、まさに修行でした。
 
 
 
ですから、実はなりたくてなったのではなく、
 
流れで占いをするようになってしまった、
 
というのが本音です。
 
 
 
里村 天胡
 
名古屋★ほしよみ堂
名古屋市中区栄4丁目16-21
11時~19時まで営業
052-263-9485
*予約優先です
 
毎週木曜日と金曜日担当
 

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