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私と占い、紫微斗数に出会うまで


幼少期から、歴史が好きでした。

 

小学生のころは近所の遺跡の発掘に参加してました。

 

 

特に、邪馬台国や平安時代が好きで

 

遠く海外はエジプトなどの古代文明にも興味を持ちました。

 

 

小学4年生の時、母に

 

「考古学者になりたい」

 

と言うと、

 

「あんなのは貧乏でご飯も食べられないからダメ」

 

の一言で断念。

 

 

続いて興味を持ち始めたのは、ケルト神話。

 

 

魔法やおまじないの本を読み漁るなかで、

 

ホロスコープに出会ったのです。

 

 

当時の『マイバースディ』や『エルフィン』という雑誌で

 

自分のホロスコープを作り、

 

マーク矢崎のおまじないの本で、まじめに実践していました。

 

 

あらゆる国の神話に興味を持ち、

 

そしてなぜか、「澁澤龍彦の毒薬の手帳」に出会い、

 

ハーブや鉱物にも興味を持ち始めました。

 

 

 

小学時代は多感で、感受性が鋭かったため、

 

夢でよく予知夢を見たりして、

 

遠足に行くはずのまだ見ぬ光景を予め見たり、

 

あったはずのない子のことを知ってたりと、

 

デジャヴュをたびたび体験していました。

 

 

大人になっても占いが好きは治まらず、

 

西に東へ「当たる」と言う噂を聞けば、

 

跳んで行って占ってもらうと言う占いフリークでした。

 

 

でも今考えると、

 

何を占ってもらっていたかって

 

恋愛でも仕事でもなく、ひたすら

 

「自分ってどんな人間なんだろう」

 

っていうのがテーマであり、

 

その占い師さんがどの程度私のことがわかるのか、

 

それを知るのが目的だった気がします。

 

 

20代は主に占ってもらうことと、

 

タロットが好きでお友達や、同僚を占っていました。

 

 

そして30代の時、『紫微斗数』に出会うのです。

 

 

10代から20代は『西洋占星術』しか読んだことなかったのですが、

 

もともと数学が苦手で、


数字を見ると寝るという特技があったため挫折。

 

 

 

ある人生最大の転換期に占ってもらったのが


『紫微斗数』という東洋の占星術でした。



この紫微斗数は、すべて表記が漢字だったんですよね。

 

 

 

 
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