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ヤナクの生い立ち【私が占い師になったワケ】①

 

突然ですが、



私はいったい何者で、

なぜ占い師になったのかということを

お伝えしようと思います。




私自身の生い立ちをつらつらと

話していきますので、

そこそこの長さになるかもしれません。


何回かに分けて、お話ししていきますね。





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ヤナクの生い立ち【私が占い師になったワケ】


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IMG_1993.JPG


 

まずは私を生んでくれた両親について。




両親は同じ高校の同学年で、

高校時代、共通の友人を通して出会いました。




母は、初めて父と顔を合わせた時に

『あ、私この人と結婚するんだ。』

と感じたそうです。



一目惚れとは全く違うと、

言ってはいましたが。

何かが、ビビビッときたようです。




父と母が付き合い始めた頃、

父は学校でやんちゃなグループに

いたものですから、


母は周りから、

「なぜあんな人と付き合うのか」と

言われたりしていたそうです。



でも母は父の真面目さを見抜いていて、

大人になってから『やっぱりその通りだった』と、


まだ子どもの頃の私に、

子どものように無邪気な笑顔で

話してくれました。





私の両親は高校卒業後、19歳で結婚しました。



父は当初、大学に進学することも

考えていたようですが、


子ども(私の姉)ができたので

卒業してすぐに働き始めました。




勤め先は、

父方の祖父が経営する土木会社。



祖父が社長で、祖母が会計・事務。

父が現場作業で、親戚の叔父たちなどなど。


一族みんなで事業に取り組んでいました。




祖父母たちが暮らす家の敷地内に、

会社の事務所と、離れがあって、


母は結婚してすぐに家を出て、

父と一緒にその離れで暮らしていました。




そして両親が21歳の時に姉が、

22歳の時に、私が産まれました。




私は予定よりも一ヶ月早く

この世に生を受けました。



全身の産毛が抜けきらないうちに

生まれたので、


母は自分が人間の子ではなく、

ゴリラの赤ちゃんを産んだかと思ったそうです。

(冗談で言ったと信じたいですが。)




そのくらい未熟児だったために

私はしばらく保育器に入っていました。





赤ちゃんの頃の私は偏食でした。


母がおっぱいを痛めながら出してくれた母乳を

口に含んだと思ったら顔を反対に向けて吐き出し、

母乳は一切飲まなかったそうです。


反対に粉ミルクはゴクゴク飲んでいたようで、

産婦人科の先生も『なんて贅沢な子だ』と。


…贅沢というかなんというか。

我ながら自分に突っ込みたくなりましたが。




そして生まれてくるまでは

男の子だと思われていたようです。



両親は当然、

男の子の名前を考えていたそうで、

生まれてビックリ、名前が決まらず…


期限ギリギリで、父が、


当時大ブレイクしていた

女性アイドルさんの名前から

名づけてくれました。




姉の方は

母が少女時代からあたためていた名前を

つけてもらっていたので、


しばらくの間は

「私の名前は何でそんな即席なんだ」と

ブーブー言っていましたが、

今では気に入っています。




姉とは年子だったのですが、

食欲旺盛で大きかった姉に比べ

私はとても体が小さく、


人前で堂々と歌い出すアイドル気質の姉に、

いつもぴったり、金魚のフンのように

くっついていくような子どもだったと聞きました。




またこの頃、私は幽霊が見えていたようで、

夜中に幽霊を見ては、家族を起こして

寝場所を変えてもらっていました。



幽体離脱はもう少し大きくなってからも

続きましたが、


風の噂で「あまり飛びすぎると戻れなくなる」と

聞いた頃から自然、なくなりました。





それから、

成長と共にだんだんと積極的になり、


父の作業現場でユンボに乗ったり

ショベルカーのショベルの中に入ったりして

遊ぶのが好きになりました。




また家では、母が私たちに、

よく父の武勇伝を話してくれました。



振り返ると、さながら父は、

『ろくでなしBLUES』の

前田太尊のような人でしたね。

リーゼントでしたし。



床屋から帰ってきた父を迎えに行っては

姉と共に「誰だ!」と泣いていたそうですが、


女の子のあるあるのように、

「将来はお父さんと結婚するんだ!」と

思っていました。





あの頃は本当に、

毎日が自由で、色鮮やかだったように

感じます。



血気盛んな、働き盛りの親戚のおじさん達や

祖父母、飼っている犬や猫にも囲まれて、

みんなで賑やかに過ごしていました。







(つづく)










椰奈空〈ヤナク〉


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